Cincinnati Pops New Conductor (2010/12/07)
アメリカのクラシック音楽
CD、LPを中心に ご紹介します。関連情報、ニュースなどをお伝えすることもあります。
2026年9月8日火曜日
シンシナティ・ポップスの指揮者ジョン・モリス・ラッセル氏、就任時の挨拶 (2010年)
2026年9月6日日曜日
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 みなとみらいシリーズ定期演奏会第416回 (感想メモ)
共演者:宮西純(テューバ)
ジョン・ウィリアムズ:テューバ協奏曲
【ソリスト・アンコール】エンニオ・モリコーネ(大橋晃一編曲):映画『ミッション』より《ガブリエルのオーボエ》
(休憩20分)
アーロン・コープランド:交響曲第3番
原田慶太楼さんの指揮でオール・アメリカン・プログラムならば行かないわけにはいかないということで、聴いてまいりました。
プレトークによりますと、《キューバ序曲》のリハでは、打楽器セクションがとても日本人らしく「真面目」だったということで、もっと踊って、だったかな、リズムのノリを出すようなことをやっておられたようです。弦楽器の主旋律が出るまでの打楽器が、下手後方ながら、ものすごくよく聴こえてきて気持ちが良かったです。ちなみにガーシュウィンは、キューバン・スティック(クラベス)、ボンゴ、ゴード (ギロ)、マラカスは指揮台の前、つまり指揮者とオーケストラの間に配置し、観客から見えるようにし、打楽器セクションの中に隠れてしまわないようにすべきであるという指示をスコアのタイトル・ページに書いていました。さすがにそれをやる人はいないとは思いますが…。
また原田さんの指揮は、弦楽器の旋律のスケール感を強調させるようアクションだったようにお見受けしました。中間部においても、弦楽器の重要な役割を再認識。また私的なサプライズとしては、曲の最後ではベル・トーンに合わせて、演奏するセクションが立ち上がり、原田さんが客席に振り返って手拍子を促したというところです。こういう「演出」は初めて体験したかもしれません。なお、最後のから2小節目は通常通りです(3回演奏ではありません)。
ジョン・ウィリアムズのチューバ協奏曲は、いわゆる折衷主義路線としてはバーンスタインやコリリアーノに通ずるところがある作品といいますか、シリアス(=クラシック)側にぐっと寄せつつも、ところどころ、やっぱりJWだな〜という箇所が聴こえてくるといったところでしょうか。第1楽章のチューバにはカデンツァもありますが、ガチのソロの部分だけではなく、ホルンとシンクロして「拡大されたソロ・カデンツァ」みたいになっているところが個人的には好きな箇所だったりします。
どこかしら都会的感覚がある第2楽章に続いて、第3楽章は「ヴィルトゥオーゾ」という言葉が適切かどうかは分かりませんが、とにかく技巧的にも圧倒的される情報量の音楽でした。客席からの盛大な称賛も納得です。こういうロジカルな展開って、やっぱり「楽天的なアメリカ」だけでは分からないアメリカ人の感覚があるような気がするんですよね(コリリアーノしかり)。
原田さんのプレトークで印象的だったのが、コープランドの交響曲第3番を演奏するには、やはりこの曲が発表された歴史的な文脈があるというお話でした。「日本人がこの作品を日本で演奏するにはちょっと苦いところがある」というところからのお話で、この第3交響曲が終戦後の戦勝国で書かれた曲である一方、単純にその勝利を謳歌している(原田氏の言葉では「セレブレーションする」)作品なのかのかどうか、という点。すなわち、第1楽章から第3楽章にかけては、けっこう「複雑な心境になる」という点。一度終戦をむかえ、次をどういう気持ちで進んでいけばいいのかということはこの曲は問うているのではないか、ということでした。これは確かにそうだなあと思うところがあります。映画だと『我等の生涯の最良の年』の世界観ということになるのかな、と想像してみたり。特に第1楽章と第3楽章の捉え方、あるいは第4楽章の、不協和音で流れが止まる以降の捉え方というのに、これらは強く影響してるかなあ、と思いました。
そのコープランドですが、第1楽章と第2楽章をアタッカで演奏するというのは、個人的に初めてではないような気がするのですが、第1楽章が終わり切る前に、金管楽器が構え始めると「おおおっ」という感じですね。
そして今回特に魅力的に感じられたのは第3楽章でした。特に後半にかけて弦楽器がうねうねと続いていく箇所がこれまでイマイチ取り留めが感じられなかったのです。ただ、その後の石田さんのヴァイオリンの美しいハーモニックスの独奏部分がつながってきて、「なるほど、こういう面白さなのかな」というのが分かりました。あのモヤモヤした感じがそのまま出て行くのが面白いのだといいますか。それで独奏ヴァイオリンで昇華されていく感覚といいますか…そこからの第4楽章といいますか。ちなみに第4楽章のコーダは「バーンスタイン・カット」でしたでしょうか? 初演の楽譜は新しい指揮者用スコアやブージーの古い版には掲載されていますが、あれで演奏する指揮者はスラットキンくらいでしょうか???
それにしてもコープランドの交響曲第3番って、全体的に非常にマッチョな曲ですよね。オーケストラの管楽器も大変だったと思いますが、その分、聴いている側も感動が得られたと思います。変拍子も多く、いろいろ罠な箇所もあるでしょうけれど、原田さんのリードで、とてもエキサイティングな演奏で面白く聴けました。会場のほうも、おそらくオーケストラの醍醐味が感じられて、特にクラシックになじみのない人ほど楽しめたのではないでしょうか? (横浜みなとみらいホール)
2026年9月5日土曜日
ロイ・ハリス:ピアノと管弦楽のための幻想曲、《真夜中に歩くエイブラハム・リンカーン》
Roy Harris: Fantasy for Piano and Orchestra. Johana Harris, piano; The M-G-M Symphony Orchestra; Izler Solomon, conductor.
Harris: Abraham Lincoln Walks at Midnight: A Cantata of Lamentation. Nell Tangeman, mezzo-soprano; Johana Harris, piano; Samuel Thaviu, violi; Theo Salzman, cello.
M-G-M Records E 3210 (LPレコード。Spotifyでは、このレコードの音源にピアノと弦楽のための協奏曲が加わっています).
ハリスが曲を付けた《真夜中に歩くエイブラハム・リンカーン》は、アメリカの詩人バチェル・リンゼイ(Vachel Lindsay)が1914年に発表した詩で、第一次世界大戦の勃発を背景に、平和を願うリンカーンの幽霊がイリノイ州スプリングフィールドの街を真夜中にさまよう様子を描いているそうです。なんでもこの詩は、第一次世界大戦の勃発にあたり、かつてリンカーンが暮らしたイリノイ州スプリングフィールドを舞台に、平和を願うリンカーンの亡霊が、世界の苦難を憂いて真夜中の街をさまよう姿を描いているのだそうです。
この詩については、アフリカ系アメリカ人の女性作曲家フローレンス・プライス(Florence Price)が、この詩を合唱とオーケストラのための合唱曲として作曲していたことが2009年に発見されたそうですが、ロイ・ハリスも1953年に「哀歌のカンタータ」という副題で、メゾ・ソプラノとピアノ・トリオのための作品を作曲していました。
MGMレーベルのレコードは私がアメリカ在住時に通販で入手したものですが、音源そのものについてはデジタル化され、Spotifyでも聴けます。ハリスらしい、崇高で真摯なサウンドが聴けます。
この作品も悪くはないのですが、個人的にはピアノと管弦楽のための幻想曲 (1953) の方に、より深い感銘を覚えます。
2026年9月4日金曜日
コステラネッツ・タッチ→ジェローム・カーンの《ショー・ボート》のアレンジ
その要因の一つは弦楽器を多く含む大オーケストラによる演奏であることと、録音があまりマルチくさくないところでしょうか。その点、同じコステラネッツでも、例えばステレオ時代の、軽いオーケストラによる、マルチ録音に聴かれるような「ムード音楽」っぽさがないといえるかもしれません。
このCDで個人的に好きなのはトラック7の《ジェローム・カーン・メドレー》です。というのも、コステラネッツが1955年に初来日してNHK交響楽団を指揮した録音があるのですが、《ショー・ボート》(管弦楽編) の熱い演奏にものすごく感銘を受けたからです。
ちなみにN響による《ショー・ボート》の演奏情報は楽団の演奏記録アーカイブにはありませんでした。記録に残っている演奏会は10月8日 (土) 、18:30 に日比谷公会堂で行われたのですが、《ショー・ボート》は演奏曲目には入っていないのです。同曲が演奏されたのは10月5日 (水) 21:15 からの放送(テレビとラジオの同時中継)で、お客さんを入れたNHKホールで演奏されたようです (放送開始時刻が21:30となっている資料もあるのですが、演奏曲目を解説を入れずに演奏しただけで38分になってしまうので、45分の放送時間、という方が正確なような気がします)。
ところで私が最初に「聴いた」N響の《ショー・ボート》は、同楽団の過去の名演を振り返る白黒映像でした。長い指揮棒を降るコステラネッツにビシっとパンチの聴いたオーケストラ。私は世代的にコステラネッツをリアルタイムで楽しんではいないのですが、この力強い演奏には心を打たれました。Spotifyへのリンクを貼っておきます。音が割れていたりしますが、ステレオ録音ですし、会場の迫力が伝わる貴重な記録だと思います(ちなみにコステラネッツの来日目的は「観光」であり、9月27日に羽田に到着予定だということで、それを機にN響を指揮してもらうことを企画したようですね)。2026年9月3日木曜日
アメリカ音楽メモ (ボストン時代、1994年6月)
1994年6月15日
ハリー・パーチはかつて「音楽のドン・キホーテ」と呼ばれたが、今では「哲学者」など、数多くの称賛が与えられるようになった。"the Don Quixote of music" → A "philosopher," a "visionary," an "inspired, stubborn radical."
今日は [ロバート・] ラッセル・ベネットの生誕100年の日に当たる。彼の作品がWGBH [ボストンのラジオ局] で演奏された。彼のオーケストレーションは優れている。楽想に華々しさにはやや欠けるところはある。ヴァイオリン協奏曲には、彼の作品が凝縮されているかのようで、割と古典的な構造でできているように聴こえた。1894年生まれなら、そんなもんか?
アメリカには多くの作曲がいる。もしかしたらヨーロッパよりも少ないのかもしれない。しかし、ここでは多くの作曲家の作品に出会うことができる。作曲家の多くは大学で教鞭を執っているようだが、大学教授 (作曲科) がすべて偉大な作曲家であるかどうかはわからない。[フィリップ・] グラスや [スティーヴ・] ライヒは大学とは関係ないが、大ヒットを飛ばしている作曲たちではある (偉大かどうかはわからないけど…)。大学単位で、学生のオケのレベルもそれなりに高いし、大学と地域の演奏団体とのつながりが密で、常に現役である。日本の小さな都市も人材を育てることによって、大学単位で、いろんなことができるのではないだろうか。東京の真似をして、大きなホールやオーケストラをつことだけが、地方音楽のあるべき姿でもないだろう。地域に伝統のある芸能があるなら、それらを見逃す手はない。マス・コミュニケーションは東京だけでなく、地域地域の音楽芸能活動に敏感であるべきだろう。ラジオ局は地元の演奏会・演奏家にもっと焦点を向けるべきだ。毎日東京でどんなコンサートをやっているかはよく知っているが、地元のことは分からないということが多い。
ボストンでは『ニューヨーク・タイムズ』を読まない限り、ニューヨークのコンサート情報は手に入らない。ハーバード・スクエアにでもいかなければ、その他 [=ボストン以外] の都市の新聞は買えない。「ボストンが大都市じゃないからさ」とニューヨーカーは冷たくあしらうのかもしれない。しかしボストンはかつて [指揮者セルゲイ・] クーセヴィツキーがアメリカ作曲界、現代音楽シーンをリードしていた土地でもあるのだ。
日本は東京を離れると多くのものを失ったように感じる。外国招へいのアーティストはほとんど東京でコンサートを開く。地方はいわゆる「巡業」なのである。アーティストにとっては地方公演では手を抜くこともあるという。問題はアーティストたちだけではない。聴き手の側もアーティストたちの音楽に常に厳しい目を向けるべきなのである。
日本の大学の教育の中、特に non-major [専攻外] の人たちの音楽の授業は、実は大きな意味があるように思う。Major [専攻] よりnon-majorの人の方が聴衆の大半を占めているのだ。不思議なことかもしれないが、major の人たちは自分の専攻楽器以外の音楽にはあまり関心を持たない。声楽科の学生は、いつも声楽の曲ばかり、トランペットの学生はオーケストラのトランペット・パートばかりを聴いている。彼らはしばしば曲を聴かず、各々のパッセージがいかに演奏されるべきかに聴き入っているのだ。
1994年6月17日
アラン・ホヴァネスは多作家で、現在、交響曲の数だけでも62を超えると言われている。その奇妙な響きに魅力がある。インド、日本などアジア各地に滞在経験があり、旋法的な響きのする音楽である。
1994年6月21日
マリー・シェーファー「人類最初の音楽は、即興によるものだったと考えられる。」
楽譜は、グレゴリオ聖歌のように、はじめは「記録する」ためのものだったに違いない。楽譜がある程度正確に演奏を記録できるようになってから作曲家が出現したのでは?
宗教関係者によって書かれた?〜ムジカ・エンキリアデス
同じ曲を何度でも演奏できる→作曲家としての地位がが生まれた?
思弁的な音楽?
mind と intelligence 情--知的に捉えた情が本当の情なのか、分析可能なのか?
同じfeeling を再び取り出すことはできるのか? feeling...様々なcontextで多種多様に変わる
2026年8月25日火曜日
作曲家に聴く:ポール・クレストン(《うわさ》ほか)
トムがまず、クレストンの「music workshop」(クレストン自身は「studio」と呼んでいるそうです)の壁に飾ってあるサイン入り写真について尋ねます。これらも作曲家ですか、と。クレストンは、自分の作品を演奏してくれた歌手、ヴァイオリン奏者、指揮者など音楽家だそうです。インスピレーションを得るために飾ってあるのだとか。また棚には音楽書を置いているということです。ナンシーは「それじゃ、楽譜はどこに置いてあるんですか? 私のようにピアノの椅子の中ですか?」と尋ねます(日本だとあまり見かけないかもしれませんが、アメリカだとピアノの座る箇所が上に開いて、そこに楽譜などを入れるスペースができる椅子があるんです)。クレストンは楽譜は多すぎて 、それはできないと返答。大きなクローゼットに自作のスコアを保存する棚があるということ。ピアノには頻繁に参照する楽譜が積み上げてあるそうですが、奥さんはうれしくないそうです。
ロン・ネルソン&ジョン・コリリアーノ作品集 (吹奏楽作品集)
2026年8月19日水曜日
ベル・テレフォン・アワー(ドナルド・ヴォーヒー指揮ベル・テレフォン・アワー管弦楽団)収録風景+テレビ中継方式紹介映画
The Bell Telephone Hour (1946) Music, Television & The Bell System | 16mm Film Scan
2026年8月17日月曜日
ミシガン州立大学シンフォニック・バンド (ケネス・G・ブルームクイスト指揮)
YouTube→MICHIGAN STATE UNIVERSITY SYMPHONIC BAND - Volume 1 LP (1975)
アルフレッド・リードの《「ハムレット」のための音楽》を聴いていますが、第1曲は序奏の恐ろしさと主部に入ってからの「熱さ」が良いですね。もちろんコンクール向けカットはなしです。高校2年の時に演奏したのが懐かしいです。もちろんこんなに上手では全くないですが…。
2026年8月2日日曜日
オーマンディ 1957年録音の《グランドキャニオン》
Eugene Ormandy and the Philadelphia Orchestra - The Columbia Stereo Collection 1958 -1963 (→アマゾン)
ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団『コロンビア・ステレオ・コレクション1964-1983』で、1957年録音の《グランド・キャニオン》を聴きました。
オーマンディは、このグローフェ作品を1967年に再録音していて、そちらは廉価盤LPレコードで持っていました。レコード・ガイドなんかでバーンスタイン盤とともに推薦されていたので買ったのだと思います。ただ、個人的好みとしては、曲のスケール感は大きいものの、特に<豪雨>楽章が重々しく、ピアノの上下するアルペジオがねっとりした感じで演奏されているのが好みではなかったりもします。その後、デジタルの新録音として発売されたドラティの重々しさも好みにはなれず(なぜかDaccaの輸入盤LPを持ってました。石丸電気で買ったのかな?)。
実は私が《グランド・キャニオン》で最初に好きになった演奏がフェリックス・スラトキン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団の演奏でした。確か諸井誠さんが司会をされていたころのNHK-FM放送のクラシックのリクエスト番組であったように記憶しています。そのスラトキン盤は長いこと探していたのですが、今はなき富山市総曲輪のフクロヤでは、通常の分類ではなく廉価盤だけまとめて置いてある別コーナーにあることが分かり、みつけて買ったときには感動したものです。
さてオーマンディ1957年録音ですが、第1曲の<日の出>からして、きらびやかなオーケストラの響きが、エネルギッシュな息づいかいの中にいきいきと表現されています。そしてクライマックスの畳み掛けにいたるまで、怒涛の流れは断然10年後の録音よりも好みです。ハープは実演よりも大きめに録音されているように思いますが、それが泡のように広がる感じは、録音のなせる技かと思います。
第4曲の《日没》の独特の歌わせ方も魅力的です。1967年録音は楽譜に忠実な感じがしますが、57年録音は、もっと自由で、ムード音楽的な性格が強いように思われました。
全体にクラシック然とした解釈を好みの方は、上記ドラティ盤やオーマンディ67年録音が良いのだと思います。また一般的にもそちらの方が定評が高いのかもしれません。ただ私は旧録が良いのかな、と思いました。
2026年7月25日土曜日
アメリカ音楽メモ (2026-05-03〜2026-07-25)
ウィリアム・グラント・スティル:《古きカリフォルニア》(1941) ピエール・モントゥー指揮ニューヨーク・フィルハーモニック 自主制作盤 An American Celebration Volume 1, CD 4.
1944年の録音。ニューヨークフィルとモントゥが録音した。3つの録音のうちの1つだそうだ。そしてモントゥと縁の誓い、フランス物のレパートリーではないものも彼が演奏できると言うことを証明したかったようだと、ラジオでは紹介されていた。
曲は神秘的な、霧のような弦楽器の背後に木管楽器始まるところから始まり、ハリウッドインディアン・タムタム鳴聞こえてきたり、ホルンの平行進行が聞こえてきたりで、西部劇風の部分もある。その後、ムーディーな接続部の後、ラテン風の舞曲(マリアッチ? マラカスが入っている)で、その後は再びムーディーな展開だった。(2026年5月3日)
アンドリュー・ノーマン:《プレイ》(2013) マサイアス・ピンチャー指揮シンシナティ交響楽団 Music Now 2017から
ものすごく混乱した感情を覚える。騒がしい顔素敵な作品かなと思い、確かに演奏するのは大変そうだなと第一印象を持った。しかし次第に穏やかな感じもしみ出てきて、エンディングはそれほど悪くないのかなと思った (2026年5月5日)
A. リード&東京佼成ウインド・オーケストラ 第2組曲 レコーディング リハーサル風景 佼成出版社 KOR-8012 (LP) →YouTube
リード初来日の時の録音は2枚組LPだったのがCD1枚になり、「A. リードは語る」と「レコーディング リハーサル風景」という第4面部分はカットされていた。一応中古レコードでは持ってはいる。技術的な問題というのは当然プロの演奏団体なのでないのだけれども、楽譜の特定の箇所についてリードが指示しているところが非常に興味深い。「なるほどそういう風に演奏するのね」的な。レコードには当然日本語訳が付属しているのだけれども、YouTubeでも自動翻訳が出せるので大丈夫かもしれない。(2026年7月25日)
2023年9月5日火曜日
ドン・ギリスのラジオ番組
1964年に、ドン・ギリスは週一で自作を紹介するラジオ番組をホストしていたのですね。すごいや (2026-07-25 リンク更新)。
https://archive.mith.umd.edu/airwaves/programs/the-music-of-don-gillis/
トッホの珍しい録音集
Pinocchio Overture. Berlin Radio Orchestra; Ljubomir Romanski, conductor.
Big Ben Variations. RAI Orchestra; Rudolf Kempe, conductor.
First Symphony, Op. 72 (1949/50). Vienna Symphony Orchestra; Herbert Haefner, conductor.
エルンスト・トッホ (1887-1964) はウィーン生まれの作曲家だが、ユダヤ系であり、ナチスが政権を取るとともにアメリカに亡命。南カリフォルニア大学にて教鞭を取り、映画の音楽も作曲している。
このレコードは、いまはもうなくなってしまったボストンの中古レコード店 Looney Tunesで購入したもの。ヨーロッパで録音されたモノラルの、しかし名前の知られた指揮者・オーケストラによって録音されたもの(おそらくライブ録音ではないかと思う)。
《ビッグベン変奏曲》は、学校のチャイムのメロディにもなっている有名な旋律をテーマにした変奏曲。レオン・ボッツスタイン指揮NDR交響楽団のやジョン・ヴィクトロン・ユー指揮フィルハーモニア管弦楽団が録音したCDがあるようだ。ルドルフ・ケンペ指揮っていうのがすごいね。