私がアメリカにいたのは、1993年の5月から2003年の5月までなので、およそ10年間位になります。そのうちフロリダ州立大学で過ごしたのは、1994年9月からです。
突然こんなことを書き始めますのは、今日たまたま代官山でモートンフェルドマンに関するトークイベントがあったからでした。高橋アキさん、藤枝守さん、柿沼敏江さんなどフェルドマンに直接親交があった方々の話なので、とても刺激を受けまして、フェルドマンの音楽に改めて関心を持った次第です。なお司会はフェリス女学院大学で教えていらっしゃる大西穣さんでした。
それよりもずっと内容として劣りますが、一応私がフロリダにいたの話を書いてみます(記憶で書いているので間違っているかもしれません。あしからず)。まずフロリダ州立大学在学時には、当然のようにアメリカの音楽を使った授業がありましたが、フェルドマンに言及された事は全くなかったといっても良いのではないでしょうか。唯一記憶として覚えているのは、1997年の夏学期に行われた。「第二次世界大戦以後の音楽 (Music since World War II) 」という授業で、フェルドマンの音楽がリスニング課題のリストに上がっていたことだったかと思います。フェルドマンはそもそも図書館にCDが入っていない状況で、学生もフェルドマンを課題で聴いたと思うのですが(LPレコードです)、実技専攻のアメリカ人が言っていたのは「あれは眠りの音楽だ」というような反応だったと思います。
【追記】Music since World War II のリスニング・リストが出てきたので改めて見てみましたが、Feldman音源で挙がっていたのはDurations (Mainstream LPかな) とThree Voices for Joan LaBarbara (New Albion) でした。CDも入っていました。失礼いたしました。でもフェルドマン作品で課題になっていたのは、その2つだけっぽいです。(2026/09/12)
その他思い出として持っているのは、ジョン・コリリアーノが大学に来た時でしょうか。たまたま作曲のマスタークラスのようなところにお邪魔したのですが、大半の学生はアカデミックというか、セリエルな作曲の技法を使っていた作品が多かったような気がします。その中で1人だけ、とってもフェルドマンのような音の選択をしているピアノ独奏曲を発表した学生がいました。私はとても驚いてしまいました。その曲を聴いた周りの学生たちは、その男の子の弾いたピアノを作品について、こっぴどく非難をしました(作品だけでなく、その学生の日頃の行いのこともあったのかもしれませんが、分かりません…)。そういった学生の反応に対し、「こういう音楽もいいと思う学生はいないのか」といったような発言をコリリアーノがしたように思います。そこでフェルドマンの名前を出したかどうかは記憶に残っていないのですが、世の中にはこういう曲を書く人もいる、こういう可能性もある、というようなことをコリリアーノが言ったのです。私はそちらについても、とても驚きました。
コリリアーノって言うと、調性+アカデミズム的無調主義による折衷主義という印象があって、まさかフェルドマン風の音楽を認めるとは思っていなかったのです。ただ今考えてみると、フェルドマンの音楽自体はレコード時代からもリリースされていました。マイケル・ティルソン・トーマスもOdysseyと言うColumbiaの廉価盤シリーズから出ていたモートン・フェルドマンのLPレコードを聴いてフェルドマンの音楽に目覚めたということですから、フェルドマンのアメリカ音楽家への影響と言うのは侮れないものがあるように思います。
かく言う私もボストン大学の図書館でフェルドマンのLP--それはマイケル・ティルソン・トーマスが聴いたものと全く同じレコードなのですが--を聴いたときに衝撃を受けました。A面の1番最初に録音されているのがPiece for Four Pianosというものです。これは4人のピアノ奏者が、和音だけが並べて書かれている音符を各々のペースで弾くという曲で、ある意味偶然性が埋め込まれた作品だったように記憶しています。そのピアノの四重奏の美しさにまずは感動したものでした。その他にもB面最初にStructures for String Quartetという曲もあり、それは結構反復の多い音楽で、しかもはっきりとしたリズム感があるので、後の時間感覚が失われるようなフェルドマンの響きとは違って、むしろきっちりとした時間構造を感じるものでした。しかもミニマル・ミュージック的な反復も多く、それがとても面白く感じられたのでした。
いずれにしても、アメリカにおけるフェルドマンの受容と言うのはかなり乏しかったっていうのが1990年代の後半にアメリカで教育を受けた私の印象です。CDの時代には入っていましたが、図書館にはフェルドマンのCDと言うのもなかったように記憶しています。なので、今はどうか分かりませんが、当時からフェルドマンはどちらかと言うと、アメリカ音楽の中では亜流というか異端のように考えられていたのではないかと思っています。
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