2026年6月28日日曜日

アルバン・ベルク協会例会 高橋アキ モートン・フェルドマンを語る (AIまとめ)

高橋アキ フェルドマンを語る
2026年6月21日(日)18時30分開始 アコスタディオ

全体概要

ベルク協会の例会で行われたトーク+演奏会の記録。ピアニスト高橋アキが、作曲家モートン・フェルドマンについて、音楽学者(聞き手)白石美雪との対談を通じて、自身の体験・作品理解・演奏上の要点を語り、後半でフェルドマン作品(《ピアノ Piano》)を演奏。会場からの質疑も含む。

前半:企画趣旨と導入

  • フェルドマン生誕100年の文脈で、フェルドマン作品を実演してきた高橋アキに話を聞く企画。
  • 後半は高橋による演奏(フェルドマン作品)。

高橋アキのフェルドマン体験・作品観

  • 高橋がフェルドマンの長大作品に強い衝撃を受け、本人に「同じくらいの長さの作品を書いてほしい」と依頼した経験が語られる(弦楽四重奏の長大作を聴いた体験が転機)。
  • フェルドマンのピアノ作品の変化(1977年頃以降の長さ・書法の特徴、淡々とした反復、微細な変化)について話題に。
  • リズムや反復があるが、数学的操作というより「同じ繰り返しではない」ことを示すための変化で、演奏側は神経質になりすぎず大きく捉える姿勢が大切、というニュアンス。
  • フェルドマンの本質として「音色への特別な耳」「楽器そのもの(“楽器のイメージ”)を大事にする姿勢」「唯一無二で他に似たものがない」ことが強調される。
  • “形式”より“スケール(規模・広がり)”で考える、というフェルドマンの言葉の意味をめぐって議論。終結のさせ方(どこで終わるか)も作品ごとに綿密に考えられている、という見立て。

フェルドマンの 1977年以降(とくに《Piano(1977)》以後)の作品

  • 作品が長大化する(スケールが大きくなる)
    1977年以降は「ただ長い」作品が多く、90分、さらにそれ以上の長さの作品にも言及があります。レコードの収録時間(何分に収める等)に合わせて作るのは変だ、という趣旨の発言も紹介され、長さが作曲上の重要な前提になっていると捉えられています。
  • 静けさ/淡々とした進行が前面に出る
    「静かなところが多い」「淡々と(音を)置いていく」方向が強くなる、という印象が語られます。聴いていて、ベートーヴェンのように「終わりへ向かって進んでいく」感覚が薄れ、時間感覚が曖昧になる、という話も出ます。
  • 反復は多いが、“同じ反復”を避けるための微細な変化が入る
    たとえば決まった拍節パターンが繰り返されつつ、最後の方で不規則になったり、わずかに変形されたりする。
    ただしそれは「数学的に構築している」というより、「繰り返しじゃないよ」と示すための変化で、演奏側は細部を神経質に追いすぎず大きく捉えるべき、というニュアンスで語られています。
  • “形式”より“スケール(規模)”で考える
    フェルドマン自身の言葉として「形式ではなくスケール」といった趣旨が話題になり、曲を古典的な形式感(全体構造の起承転結)で捉えるより、ある種の広がりとして捉える方向が示唆されています。
  • 終わり方は「唐突」ではなく、作品ごとに工夫される
    どこで終えるかは難題だが、終結に向けて、それまでの“織り目”がほどけるように感じられる(という聴き手側の印象)が語られます。少なくとも「きちんと終わりを考えている」という理解です。
  • 補足:1977年作品「Piano」は“音が詰まった”例外的密度として言及
    「それ以前は短く静かな曲が多かったが、突然1977年の《Piano》が出て、珍しく音がいっぱい詰まっている」という言い方があり、1977年作が一つの転換点・始まりとして位置づけられています。

来日は「2度」

  • フェルドマンは日本に2度来ている、と明言されています。

1回目:1979年(武満徹の「ミュージック・トゥデイ」)

  • 1979年に来日。
  • 武満徹が関わっていた音楽祭(文中では「ミュージック・トゥデイ/今日の音楽」と呼ばれている)に招かれて来た、という説明です。
  • 高橋さん自身もそのときフェルドマンに会っているが、当時はそこまで深く関わる段階ではなかった、というニュアンスで語られます。
  • その来日時に、高橋さんはフェルドマンの室内楽(クラリネット曲など)を聴いたが、翌日に別件(ドビュッシーのレコーディング等)があり、あまり会話はしなかった、という趣旨の回想があります(文は崩れていますが、流れとしてはそういう内容です)。

2回目:1985年(市原/一柳関係の企画、草月=「草月ミュージアム」言及)

次の来日として、「85年に」という言い方で語られています。

  • 誰の企画かについては、文中で「一柳さんがやってらした…」という言及があり、会場(あるいは企画の場)として「草月(ミュージアム)」が出てきます(話者の記憶が揺れていて、断片的です)。
  • この2回目の来日は、さらに「直前にロサンゼルスで…」「同じ飛行機で…」「スーザン・ソンタグが来ていて、アメリカンセンターでシンポジウムのようなものがあった」といった周辺状況がセットで回想されています。

補足:年号に“揺れ”がある箇所

  • 2回目の来日を「85年」と言いつつ、その直後に「87年」のように聞こえる断片も混ざります。少なくともこのページだけを根拠にすると、確実に言えるのは
    • 来日は2度
    • 1回目は1979年(ミュージック・トゥデイ)
    • 2回目は80年代半ば(草月/一柳さん関連の場の言及)

…という範囲になります。

ケージとの関係(人物像・美学の違い)

フェルドマンはジョン・ケージを強く意識していた、という証言。

高橋による印象的な比喩:「ケージは“サファリパーク”(自由に見えるが枠の中)」というフェルドマンの言葉が紹介され、両者の“自由”観の違いが示唆される。

一方でフェルドマン死後のケージ作品に、静かでフェルドマン的な傾向が見えるのではないか、という観察も出る。

作曲・生活・趣味に関するエピソード

フェルドマンの作曲姿勢:極度の集中、弱視で紙に顔を近づけるように書く、書き直しが少ない、等。

絨毯コレクションの話:収集旅行、絨毯の制作過程と自分の作曲の類似(反復しつつ少しずつ変化)を語っていた、という逸話。

生活拠点(バッファロー)の話:静かな環境での孤独な生活、車の運転ができないためパートナーの助けが必要、など。

演奏(後半)と質疑応答の論点

  • 会場が小さく残響が少ない点は、フェルドマン作品にはやや厳しい(もっと残響がある会場が理想)という高橋氏のコメント。
  • ペダリング:基本は和音ごとに踏み替え、クリアさとの兼ね合い。
  • 「簡単に見える音型(誰でもできそうに見える)」が生む誤解と、実際には一音の余韻・響きを成立させる繊細さが核心、という話。
  • 長大曲の現実問題(トイレ、演奏者の身体負担、椅子が太ももに食い込む等)の具体的エピソード。
  • フェルドマンが社会的発言を前面に出すタイプではないが、ユダヤ人としての自意識は強かった、という証言。
  • 最後に「フェルドマンの魅力を一言で」への回答:誰にも似ていない唯一無二、響き(音色)を本質的に大事にする“本当の意味での音楽家”。
  • 以上が要点です。必要なら、(1)「ケージとの比較」だけ、(2)「作品論(時間・形式・スケール)」だけ、(3)「質疑応答だけ」など、用途に合わせた短縮版にもできます。

フェルドマンの「住んでいた場所/生活環境」

1) ニューヨーク時代(若い頃)

  • 最初は ブロンクスにいた(「最初はブルックリンじゃない、ブロンクスだって言ってましたね」という回想)。
  • その後ニューヨークで活動していた時期は、友人も多く、ある程度の交友があった様子が示唆されています(ただしこのページでは住所や家の具体像までは出ません)。

2) バッファロー時代(大学に関わるようになってから)

  • ニューヨーク州立大学バッファロー校(SUNY Buffalo)から頼まれて教える立場になり、生活の拠点がバッファロー周辺になる。

  • その住環境は、話者の印象では

    • かなり田舎/静かな場所
    • 店もほとんどないようなところ
    • 自然の中で暮らす感じ

    と言われています。

  • 大学に行くのも「週に1回くらい」という語りで、結果として

    • 暇すぎて困る
    • 静かすぎて作曲が進まない(進まなくて困る)
  • という、都市型の忙しさとは逆の環境だったことが語られます。

  • またフェルドマンは弱視で運転ができないので、移動や生活の面で、当時のパートナー(ガールフレンド)が運転手役になっていた、という生活実態も出てきます。

  • バッファローでは「誰にも会わないみたいな」「一人でいるような」暮らしぶりが強調されています(訪ねてくる友人は時々いた、という程度)。

要するに、この記録の中のフェルドマンは、後年はとくに「都市の中心」ではなく、静かな地方都市(バッファロー周辺)のさらに静かな場所で、孤独に近い形で作曲に没入する生活をしていた、というイメージで語られています。

フェルドマンを演奏する際の注意点

  • 細部(リズム変化など)を“神経質に”追いすぎない

    リズムが少しずつ変わる箇所もあるが、本人は数学的に操作しているというより「単なる繰り返しではない」ことを示したい意図だ、という理解が示され、演奏側は細部に過度にこだわるより、大きく捉えるほうがよい、という趣旨で話されています。

  • 1音1音の“余韻/響き”を成立させることが核心

    「誰でもできそうに見える」瞬間がある(ポンポンと音を置くように見える)が、実際には一音の余韻・残響をどう出すかが重要で、そこが作品の本質だろう、という話が出ます。

  • ペダリングは基本「和音ごとの踏み替え」+クリアさの管理

    質疑で、ペダルは「基本としては一つ一つの和音に踏み替える」感じ、と述べられています(=濁りすぎないようにしつつ響きを作る、という方向性)。

  • 会場の響き(残響)に強く影響されるので、音響条件を意識する

    この会場(小さめ・近距離)は「残響が足りないのでフェルドマンには厳しい/もっと残響があるほうが理想」と語られ、作品が残響の質に依存することが示唆されています。

  • 長大曲の場合は“身体・生活上の現実”も含めて備える

    トイレ問題や、演奏姿勢・椅子による痛み等の話が出ており、長い作品では音楽的解釈だけでなく持久力や環境設計が重要、という含意があります。

(高橋アキさんの回想)に基づく範囲で、「フェルドマンとジョン・ケージが似ている」と読み取れる点

  • 同じ時代・同じ文脈の“実験音楽”を推進した仲間(同士)として見られている

    司会(あるいは話者)が、2人は「同じように実験音楽を推進した仲間/同士」だが、途中から道が違っていった、という整理をしています。

  • 互いを強く意識し合う関係だった(影響関係がある)

    フェルドマンはケージを強く意識していた、という証言があり、さらにフェルドマン没後のケージ作品に「フェルドマン的(静かで沈潜した感じ)」な傾向が出たのでは、という観察も出ます。
    →「似ている」というより、相互参照・相互影響が起きうる近さがあった、という意味で共通項として語られています。

  • (少なくとも後期に)“静けさ/沈潜”の方向性が接近して見える
    高橋さんは、フェルドマン没後のケージ作品がフェルドマン的になったのでは、と述べており、ここからは両者の間に「静けさ」への志向が重なって見える局面があったことが示唆されます。

両者の「自由観/作曲観」の違い

自由観の違い:「サファリパーク」比喩

  • フェルドマンはケージについて、「ケージはサファリパークなんだ」(=自由に見えるが“枠の中”でやっている)と述べた、という回想が出てきます。
    • ここでのポイントは、ケージの実践が「無制限な自由」ではなく、何らかの枠組み(ルール/方法)の内部で成立している自由に見えた、というフェルドマン側の評価です。
  • それに対してフェルドマンは、(高橋さんの解釈として)もっと“無限の時間”の側に住んでいるような、別種の自由を志向していたのではないか、と語られます。

作曲観の違い:ケージ=哲学者/フェルドマン=沈潜して書く人

人物像と結びつけて、作曲観の差が次のように整理されます。

  • ケージ
    • 「哲学者的」「幅広く世界を見て」「発言もする」といった言い方で語られ、
    • 社会や思想を含む広い射程の活動の中で音楽を位置づけるタイプとして描写されます。
  • フェルドマン
    • 「沈潜して」「内側に向かって」書くタイプとして語られ、
    • 外側(社会的発言・多方面の活動)へ広がるというより、音そのもの/時間感覚の内部へ潜っていく作曲をしていた、という対比になっています。

補足:関係性は「違うが、相互に意識」

  • 違いが強調される一方で、フェルドマンはケージを強く意識していた、またフェルドマン没後のケージ作品が「フェルドマン的(静かで沈潜した感じ)」になったのでは、という観察もあり、緊張関係を含む相互参照として描かれています。

(演奏後のQ&A)で出た主な話題は、だいたい次の通りです

1) 会場・音響(残響)について

小さめの会場で距離が近いぶん音がよく聴こえる一方、フェルドマンには残響が不足気味で「欲を言えばもう少し残響がある方がよい」という趣旨の応答。

「会場やピアノによって響きが変わるが、その違いをどう感じるか」という質問に対しても、残響の影響が大きいという方向で話が進みます。

2) ペダリング(ペダルの使い方)

「音が変わっていく時、ペダルはいつ踏み替えるのか?」という質問。

応答は、基本としては和音ごと(音のまとまりごと)に踏み替える、という説明(クリアさを保つ方向)。

3) 作曲家の“音”へのこだわり(音色・音響への嗜好)

「フェルドマンは音響にこだわりがあったのか。嫌いな音/好きな音など言っていたか」という質問。

高橋さんは、はっきりした“好き嫌いリスト”のような形では語れないとしつつ、周辺エピソードとして、打楽器的な音が鳴っている場面でも社会的に挨拶に行く、というような人柄(社会性)も交えて返答しています。

4) 「簡単そうに聴こえる」問題(誰でも弾けそうに見えるが違う)

司会側からの投げかけに近い形で、「聴いていると“誰でもできそう”と思う瞬間があるが、何が違うのか」という話題。

応答は、結局は一音の余韻/残響をどう聴かせるかが重要で、そこが成立しないと同じにはならない、という方向。

5) ピアノ(楽器)へのこだわり

「ピアノそのものにこだわりはあったか(メーカー等)」という質問。

応答として、本人のピアノはスタインウェイだった、という言及。

さらに「弾き手がいなくなるとピアノの鳴りが変わる」という経験談(フェルドマン亡き後に弾いたら“別物”のように感じた、という趣旨)が語られます。

6) 長大曲の現実:トイレ/休憩/身体的負担

「6時間の作品などでトイレに行きたくなったら?」という質問。

弦楽四重奏の超長時間作品では、途中で出入り自由にしたり、演奏側も現実的に(省略や交代など)工夫がある、という話題に展開。

具体例として、長時間座り続けることで椅子が太ももに食い込んで痛い、など身体的負担の話も出ます。

7) 社会的発言(ケージとの対比)

ケージは社会への発言が多いが、フェルドマンはどうだったか、という質問。

応答は、フェルドマンは自分から社会的発言を前面に出すタイプではないが、(例として)戦争の時代状況などを人間として意識していた話、またユダヤ人としての自意識が強かった、という内容。

8) 当時の受容層/コミュニティ

「80年頃アメリカで、フェルドマンの音楽を支持していたのはどういう層か?」という質問。

応答は、バッファローは小さな社会で、いわゆる大都市的な“マニア集団”という感じではなく、大学周辺の作曲家・演奏家コミュニティなど、比較的限定された範囲の話として語られます(断定的な社会階層分析は避ける)。

9) 異国趣味・絨毯など

絨毯の話から、「異国趣味的なものがあったか?」という質問。

応答は、旅行好き・収集などはあったが、特別に“異国主義”として強調できるほどではない、というニュアンス。

10) まとめの問い:「フェルドマンの魅力を一言で」

最後に「魅力を一言で」と問われ、

唯一無二で誰とも似ていない」「響きを大事にする」「知識や形式操作ではなく“自分の中から出てくるもの”を注ぎ込む」といった趣旨で締めくくられています。