2013年6月30日日曜日

ロイ・ハリス:交響曲 第3番&第4番《民謡交響曲》(オールソップ指揮)

マリン・オールソップ指揮コロラド交響楽団、同合唱団 Naxos 8.559227
録音:2005 年1月

Naxos Music Libraryへのリンク→http://ml.naxos.jp/album/8.559227

ハリスの第3交響曲にはアメリカの大地を感ずる素朴で粗削りなイメージが強い。バーンスタインの演奏で親しんだリスナーには特にそうだろう。しかしオールソップはしっとりした抑揚の中で、ハリス作品で見逃されがちな洗練されたニュアンスを、和声の独特の移り変わりや、それによる細やかな情感の変転に見出す。アメリカ交響曲の最高傑作の一つとされるハリスの3番が、これほどまでに穏やかに響くとは思いもしなかった。

単一楽章の民謡メドレーとして書き始められ、合唱付ファンタジーに仕上がった《民謡交響曲》も同様のアプローチ。変拍子によるダンスは生命力につながりこそすれ、野卑になることはない。ハリスは生前から録音に恵まれた作曲家だったが、晩年はその名声が後退したため、10番以降の交響曲は未だに聴く機会がない。今後ナクソスが交響曲全集を作り上げていくのが楽しみだ。なお歌詞(翻訳なし) はナクソスのサイトからダウンロードできる。(2006年7月執筆)

2017年8月22日追記:第3交響曲はカットなしの演奏。


2013年6月29日土曜日

ロイ・ハリス:交響曲第3番 (ストリックランド)

ウィリアム・ストリックランド指揮ウイーン交響楽団米Desto DST-6404(LP)
Naxos Music Libraryへのリンク→http://ml.naxos.jp/album/9.80695

バーンスタイン盤と同様のカットがなされている。私がハリス作品を初めて聴いたのが、この音源だった。藤原良久さんの司会によりNHKで5日間にわたってゴッチョークからルーニングまでのアメリカ・クラシック音楽の歴史を辿る番組があり、その時に放送されたも。数年後、同じ藤原良久さんの司会で、ガーシュインの特集が組まれた時も、この録音がアメリカ音楽史を飾る作品として紹介された。

それ以来このLPを探した。かつてはお茶の水のアパートの一室にあったレミントンというお店に注文を出したりもした(番号まで覚えていて、店員の方に驚かれた記憶がある)。結局見つけたのは、1991年だったか、神田三省堂で行われたレコードフェアだった。

という訳で、個人的に想い出深い音源である。 さて、カップリングは、ウィリアム・シューマンの《アメリカ祝典序曲》(風呂のなかで桶をひっくり返したような音だ!)とセッションの《ブラック・マスカーズ》。シューマン作品については、これやキンドラー指揮の録音では、面白さが分らないだろうな、と思う。

なお、ナクソス・ミュージック・ライブラリーでは復刻された同音源が聴ける(上記リンク参照)。演奏者名は、アメリカン・レコーディング・ソサエティ響となっているが、Desto音源のオリジナル盤が American Recording Societyというレーベルから出ており、オーケストラの名前も仮面になっていたものと思われる。(01.1.13.執筆、02.9.6.、05.05.06.改訂、2009年1月15日情報追加)。


ロイ・ハリス(1898~1979)の音楽:ロイ・ハリスについて

オクラホマの農家の丸太小屋で生まれたとされるハリスは、5歳に母親の病気のためにカリフォルニアに移った。家族で歌を歌ったり、家にあったピアノをたしなむことはあったが、特に幼い頃から音楽家を志していた訳ではなかった(ただし高校時代にピアノとクラリネットを演奏している)。 第一次世界大戦には一兵士として活躍したし、大戦後も大学で経済学などを学んでいた。しかしいよいよ作曲家になる決心を固め、アメリカでアーサー・フェアウェルについて基礎を身につけた後、コープランドの紹介で、パリのナディア・ブーランジェに作曲の教えを乞いにいく。しかしアカデミックな彼女の教授法にはまったく満足せず、ひたすらベートーヴェンの弦楽四重奏を独学する。ただしブーランジェが紹介したバロック以前の音楽には興味をもち、帰国後アメリカの国会図書館において、ルネサンス音楽の楽譜集を研究した。 その後《交響曲1933年》の成功において、ハリスの作品はクーゼヴィツキーの目に止まり、この第3交響曲も彼によって委嘱された。当時ハリスはヤッシャ・ハイフェッツのためにヴァイオリン協奏曲を書いたが、作曲者・演奏者両者とも満足せず、作品は撤回された。そのかわりハリスはその協奏曲からの主題を交響曲に取り入れた。作品初演は大成功に終わり、ハリスの作曲家の地位を決定的なものにした。そしてこの作品以後、1940年代まで、ハリスは最もアメリカ的な作曲家として歓迎されていた。ジャズやいわゆる「商業音楽」を使わないという点でも、シリアスなアメリカ音楽を求めていた聴衆に受け入れられたということもあった。

彼の音楽語法の特徴の一つには、まず長調と短調が絶えず織り混ぜられる長く旋法的な旋律線がある。これはきっちりとした楽想の展開を考えた均整感覚のある旋律ではなく、自由に緩やかに紡ぎ出されていくタイプの旋律である。このようなハリスの旋律の動きはしばしばぎこちなく響くのだが、それは彼の旋律が、長調・短調を容易に混合することができる彼独特の和声法に基づいているからだといわれている。第3交響曲では、その他複調(二つの調の和音を同時に鳴らす)も見られるが、調性は、ある音を繰り返し強調することによって保たれている。

また彼の作風は生涯を通して大きな変化を経ることはなかったが、それはハリスには、人は一生に一つの音楽語法を作り上げるものだ、という信念があったことに由来するようだ。しかしそれがかえってマンネリズムを引き起こしたということも否定できない。

ハリスの音楽観は、幼いころ身近にあった山や谷、汽車といった風景や音に影響されており、白人の民俗音楽の伝統も受け継いでいる。ただしもう一つの民俗音楽の流れであるジャズにはあまり興味を持たず、それは感情的に希薄で限りがあるとしている。

しかしハリスは、そういった自分自信にに常に忠実であった。音楽というものは作曲家の感情を捉え、それを伝えようとすることだと考えており、そのような真摯な態度が、武骨ながらも誠実なアメリカの交響曲を生み出したということは言えるだろう。

ところで筆者がアメリカで感じたハリスの評価は必ずしも肯定的なものではなかった。その理由は、彼個人の気難しい性格が必ずしも多くの人に気に入られてなかったということのようだ。さらにそれが乗じて彼のアメリカらしさというのはハリス自身のうまいプロモートだったと主張する人たちもいる(1930・40年代、彼はいろんなメディアに自己の音楽論を執筆していたためだろう)。しかし若くしてチャンスをものにした作曲家が自己宣伝の機会を逃がさず使うことは、生き残りの手段として自然なことでもあるし、ハリスだけが特別自己アピールに長けていたとか、自己アピールが特別強かったというのも、いささか誇張であるように思う。音楽から得られるものを無視して、いたずらに一作曲家を陥れるのも、問題があるように思うのだが。

参考として、例えばギルバート・チェイスのアメリカ音楽史の本をご覧になるとよい。ハリスの扱い方の大きさに驚かれるのではないだろうか。実は第3版よりも、第2版の方が、さらに扱いが大きいのである。

しかし、彼の作品の録音が多く出ているということは、それだけ聴かれているということを示しているし、作曲家の評価というのは、最終的にはやはり作品によってなされていくだろうとは思う。(02.1.7.執筆、02.9.6.、05.05.06.改訂)

アイヴズ:交響曲第2番 (1)

ケネス・シャーマーホーン指揮ナッシュビル交響楽団 Naxos 8.559076
Naxos Music Libraryへのリンク→http://ml.naxos.jp/album/8.559076

このCDの「売り」の部分は、近年編集されたという、音楽学者による、当作品の新しい楽譜、いわゆる校訂版(クリティカル・エディション)を使った最初の録音であるということだ。解説を読んでみると、1951年版のスコアは、バーンスタインの初演のために、ヘンリー・カウエルが準備したもので、それは1907年から10年に書かれた自筆譜をもとに制作されたとされている。ところがこのスコアの編纂(へんさん)は、ずさんで、アイヴズも初演をラジオで聴いてがっかりしたということらしい。
ちなみに妻のハーモニーからバーンスタインに宛てられた手紙には、アレグロ楽章のテンポが速すぎる以外、アイヴズ本人は気に入っていたとあるので、今回の楽譜校訂者が、どの辺りまでのことを指して話しているのかは、分からない。tuzakさんによると、「ラジオを聴いてがっかりしたとありますが、確かどこかで『喜んだ』と読んだ記憶があ」るそうで、「初演には誘われても出かけなかったけど自宅のラジオを聴いて小躍りしたと」もされている。(当サイトの掲示板の記事、10月 9日(月)01時12分49秒より)
特に問題となった箇所は第2楽章のテンポ記号がかなり抜け落ちていることと、第5楽章の場合は、オリジナルとは違った勝手なテンポになってしまったということだった。結果としてはそれが、「バーンスタインのイージーゴーイングなテンポや凡長な緩徐楽章の解釈につながった」とまで書いてある。

満津岡信育さんによる情報
Peer版の2番のスコアは、どうやらカークパトリックがメトロノーム記号を 入れているらしくて、近年はフィナーレなど非常に速いテンポが主流(ヤルヴィの CD、日本での実演では高関=大阪センチュリー、井上=東フィル、岩城=東フィ ル・・・ただし、最後の一つは私は聴いておりませんが)だったのですが、Naxos のシャーマーホーン盤はもっと遅く旧来の路線で演奏されています(ファクシミ リを見る限り、メトロノーム記号は書き入れてないそうです)。それと、ラスト の<クラッシュ>の八分音符の音価は録音史上最も短いかもしれません。(当サイトの掲示板の記事、10月 8日(日)16時19分23秒より)
tuzakさんによる情報
スコアですが、私が持っているのはPEERのもので、確かにメトロノーム速度が書かれています。それでフィナーレが速いん ですか。なるほど。ニ分音符が96とか92とかと指定されています。  カタストロフィが最も短いというのは興味深いです。PEERの楽譜にはsecもスタッカートすらも付いてないんですよね。も ちろん、フェルマータもないんですが。(当サイトの掲示板の記事、10月 9日(月)01時12分49秒より)
今回使われたクリティカル・エディションは、第2楽章の提示部の反復(反復しなくても良いみたいだが)や第5楽章のカット(バーンスタインが、かなり適当にやっていたらしい)など、1951年版になかった部分が復刻され、そのほかおよそ一千箇所も(数えきれないほど多くという意味かもしれないが)手が入っていると解説にはある。また、最終音の延ばしは1951年版のスコアにもなく、これはバーンスタインがアイヴズが亡くなって4年後、米コロンビアに第2を録音した時になって初めて付け加えられた、と説明がある。なお、この録音では短く演奏されている。
なお、クリティカルエディションについてだが、tuzakさんによると、Jonathan Elkus以外に Malcolm Glodstein のものもあり、Tillson Thomasがこの版の初演録音しているとのこと(当サイトの掲示板の記事、10月 9日(月)01時12分49秒より)。
確かに、一聴したところ、第2楽章、第5楽章など、ずいぶんこれまでと印象が違うと思われた場所も多い(版と演奏法については、St. Ivesさんによる考察を参考にしていただきたい)。しかし、実際に音になった第2交響曲が、これによって、ものすごく面白くなったかというと、疑問が残る。作曲者の意図を忠実に再現したいという欲求は、いわゆるクラシック音楽を志す人には多いと思うが、最終的に、それは自分の創造的な表現でなければならないところが、音楽の難しさではないかと思う。(2000.12.3.)

St. Ivesさんのご意見
正直なところがっかりしました、演奏もそうですが、クリティカル・エディションの売り物とも言える2楽章は、演奏の単調さも手伝ってあまりに長いと私は思いました(ベートーヴェンの5番のギュルケ稿を初めて聴いたような感じです)。(当サイトの掲示板の記事、11月25日(土)01時44分41秒より)