2011年6月24日金曜日

ピストン:オーボエとピアノのための組曲

楽章形式からして、バロックの舞踊組曲を意識していることは確か。第1楽章のリズム感覚が、特にバロック・フレーバーを醸し出している。第2、第3は、それとは違って、オーボエが本来持つ、叙情的な側面を引き出す作風ではないかと思う。

チャールズ・アイヴズ:交響曲第1番 、作品について

アメリカ音楽史の教科書として、スタンダードな1冊、『アメリカの音楽』の著者、ギルバート・チェイスは、アイヴズの第1交響曲を、単に「折衷主 義」の作品として捉えている。しかし、聴いた感じでは、この曲から、第2までの「作風」的な距離は、それほど遠くないのではないかと思う。確かに、明確に アメリカ的という特徴を作品中に指摘することはできないが、いろいろが楽器が雑多に交錯し、にぎやかで力強いところや、マーチ風のリズム動機など、作曲技 法は、後の作品にも通づるところがあるからだ。

そうすると、チェイスの第1交響曲の位置付けは、何に基づいているのだろうか? 作風はすでにアイヴズでも、フォスターや賛美歌がなければ折衷主義 なのだろうか? そういった素材がなければ、「アメリカの交響曲」でなくなってしまうのだろうか?

アメリカ民謡やフォスターの歌曲、賛美歌の引用をもって、アイヴズ作品をアメリカらしいとすることは簡単だろう。しかしアイヴズがそれを、実際の作 品の中でどのように使っていたのか、あるいは生かしていたのか、そういったアプローチもアイヴズの音楽を見る際には必要ではないかと思われた。なぜなら、 そういった、あからさまな「アメリカらしさ」を含めることが、そのままアメリカ音楽の真髄を創造することになるとも限らないからだ。これは、例えば日本の 洋楽に「日本らしさ」を求めるとき際、どういう問題が浮かんでくるのかを考えてみれば分かると思う。民謡の引用が、日本らしい洋楽になるのか、また、その 必要性はあるのか、ということだ。

絵画の世界では、描く題材が、ナイアガラの滝であったりグランド・キャニオンであれば、描写の手法の検討よりも、簡単にアメリカらしさが表現されて しまうのも事実だ。しかし、ヨーロッパの絵画の技術をそのまま当てはめ、アメリカを題材にして絵を描くことが、そのままアメリカ絵画の創造になるかといえ ば、議論の分かれるところだと思う。

第1交響曲はアイヴズがイエール大学在籍中に書かれた作品。基本的にはニ長調が主調。第2・4楽章は、卒業作品として提出されたそうだ。アイヴズを 指導したホレイショ・パーカーも、アイヴズに対して積極的な指示をだし、それが必ずしもアイヴズの思惑と一致しなかったこともあったようだ。パーカーの指 示によって変更された箇所は、(1)のライナーによると、例えば緩徐楽章。冒頭は、もともとは変トの和音で開始する予定で、楽章途中には、賛美歌が連続し て引用されているはずだったという。

作品の価値を下すのは、難しい問題であるが、私個人の感じ方は、やはりアイヴズの、後の3つの交響曲の源泉を辿る(たどる)という意味では、興味深 く聴けるのかもしれない、という程度である。できれば、アイヴズの先生だった、ホレイショ・パーカー(例えば米ニューワールドに録音された《北方のバラー ド》)や、パーカーと同じ、第2ニューイングランド楽派のジョージ・ホワイトフィールド・チャドウィック(例えば英シャンドスに録音された第2交響曲)な どを併せて聴くことによって、当時の音楽的文脈を再現するのが、より収穫のある聴き方であるような気がする。(2000.12.17.)

ジェームズ・シンクレアのアイヴズ作品目録

A Descriptive Catalogue of The Music of Charles Ives
http://webtext.library.yale.edu/xml2html/music/ci-d.htm

イエール大学音楽図書館にある、チャールズ・アイヴズの作品目録です。アイヴズ作品の調査の出発点であり、基本文献だと思います。すでに書籍として出まわってますが、このオンライン版は、無料みたいです。すごいですねえ。