2001年5月1日火曜日

ニューヨークの新作発表―交響曲とオペラ

ニューヨークの新作発表―交響曲とオペラ

 ウォルト・ディズニー・カンパニーは、来る西暦二千年を記念して、新しい交響曲を委嘱した。演奏はクルト・マズア指揮のニューヨーク・フィル。選ばれた作曲家は、昨年弦楽四重奏曲「ムジカ・インストゥルメンタリス」でピューリッツァー賞を受賞したアーロン・ジェイ・カーニスと、「ポスト・ミニマリズム」の旗手としても知られているマイケル・トーキーの二人。どちらも最近「新調性主義者」などと呼ばれている作曲家で、英アーゴからCDも数枚リリースされている。

 作曲家を選んだのもディズニー側で、その基準は、若手のアメリカ人作曲家で、美しい旋律を書く作曲家でということであった。一方作曲に当たっては、ディズニーらしさを出すために、児童合唱を必ず編成の一部に加え、未来に夢を持たせるような作品にしてほしいという要望も出された。  そもそものきっかけは、ディズニーの社長マイケル・D・アイズナーだった。かつてマーラーの「千人の交響曲」に圧倒された経験を持つアイズナーは、新ミレニアム(千年紀)を合唱と管弦楽が一体となった音楽で祝うことを発案した。そのための土台となる「筋書構想」も作っており、作曲依頼の時は、作曲家の一人、トーキーにそれを「丁重に」渡したという。もちろん作曲者には多大なプレッシャーがかかり、トーキーは、作曲過程で、アイスナーの筋書と自作品との関連性を常に配慮していたという。

 トーキーは、初め作品をオペラとして構想しており、ロバート・ウィルソンとのコラボレーションも考えていた。しかしディズニーが制作途中で介入。視覚的要素が音楽と合わないなどクレームがついたため、実現には至らなかった。結局でき上がったのは、独唱・合唱とオーケストラのための「四季」という約一時間の作品。それぞれの季節は三楽章に分けられ、各楽章は、アメリカ過去五十年の出来事を何かしら象徴しているのだという。もちろんそれらの題材は、ディズニー社長の「筋書構想」から直接的なヒントを得ている。

 カーニスの作品は、こちらも独唱・合唱を含めた四十分余りの「光の庭園」で、人類の歴史をその起源から未来へと綴る壮大な構想を持つ。「暴力」や「祖国の探索」という、歴史の中で繰り返されてきた重いテーマを含む一方、希望のある未来も提示される。そこでは子供たちの無邪気さで現在の世界を再体験する方法が探究されているという。

 初演前十月三日の「ニューヨーク・タイムズ(以下NYT)」では、合計一面分を占めるスペースを使って初演が宣伝された。トーキーはこの記事の中で、今度の二作品は、自分たちの音楽の中でもベストの内に入ると豪語。一方作曲者カーニス関連の記事も用意され、「ムジカ・インストゥルメンタリス」はここ二十年間に書かれたアメリカの室内楽作品としては最高のものと褒めちぎっている。

 しかし、NYT十月十日付のポール・グリフィスによる初演評は、カーニス作品について、スクリャービンからバーンスタインまで、他人の音楽との関連性はあるものの、新しい世紀を思わせるようなものはないと批判。使われたテキストも「陳腐なアイディア」に満ちあふれているので音楽の欠点を補えないと手厳しい。『ワシントン・ポスト』は、二作品を「ひどく奇を衒(てら)ったもの」と、やはり厳しく批判。会場に詰めかけた聴衆は、新作を紳士に受け止めたようだが、現代音楽ファンや批評家は、概して否定的である。『ロサンゼルス・タイムズ』は「これらの作品はどういった聴衆のために書かれているのか」という疑問を提示していたが、これは近年「調性音楽復活」を標榜する作曲家の音楽全般に共通する問題のようにも思われた。

 年末から新年にかけての話題では、ジョン・ハービソンの新作オペラ「グレート・ギャツビー」のメトロポリタン歌劇場初演が注目される。これは同歌劇場によって九十二年に委嘱されたもので、コリリアーノの「ヴェルサイユの幽霊」(九一年上演)、グラスの「航海」(九二年)に続くものとなる。

 フィッツジェラルドの小説を題材としたオペラの構想そのものは、すでに八〇年代にあり、「追憶のギャツビー」と題された管弦楽曲も作られていた(今回はこれを序曲とする)。しかし実際にこれをオペラにする段階で、ハービソンには越えなけらばならない問題があったという。その一つは、小説に登場する架空の音楽作品をどう扱うかであった。「ビール・ストリート・ブルース」など具体的な作品も現われるし、登場人物によって「低く、スリリングな声」などと描写される音楽もあるからだ。一九七四年に制作されたジャック・クレイトン監督の映画版「ギャツビー」ではアーヴィング・バーリンの曲が引用されたが、既存の音楽を使うのはあまりにもリアルすぎるし、作品全体と混ざりにくいということで、オペラではハービソン自身が物語の時代設定に即した歌を創作することになった(歌詞は、ミュージカルの仕事もしているマリー・ホーウィッツが担当)。

 二番目の問題は、物語の語り部として原作に登場するニック・キャラウェイをどう扱うかであった。ハービソンはこの点について『オペラ・ニュース』六月号で、キャラウェイは確かに人や物について描写しているが、それは「彼が目撃者であるからこそ存在価値がある」と述べている。オペラでは、語り部を常に舞台上に登場させることはできないので、ハービソンは「ニックが語ったことをまとめ、それが登場人物たち自身の経験として表現」されるように腐心したという。

 第三の問題は、主人公ギャツビーの性格・役割をどう考えるかだった。「この小説のパラドックスは、とても魅力的なヒーローで、そのヒーローについて知られていることは、すべて虚構か漠然としたものでしかないということだ」とハービソンは言う。それゆえ、他の登場人物も、ギャツビーとは冷めた人間関係を保ちながら、彼の人物像を作り上げるのに重要な役割を果たしていると、ハービソン自身は考えている。

 オペラ「グレート・ギャツビー」は、二幕構成で、原作の物語進行にほぼ忠実に従っている。音楽的には、合唱の劇的な使い方に苦心したという。舞台上で起っている物語を多角的にみる「視点」を与えるのが合唱の役割になるからだ。

 ジェームズ・レヴァイン指揮によるオペラ初演は、十二月十二日。一月一五日まで合計八回上演される。ギャツビー役にはジェリー・ハドレーが、デイジー・ブカナン役にはドーン・アップショーが起用される予定である。

チャールズ・アイヴズの歌曲全集

 『新グローブアメリカ音楽辞典』の編者で、アメリカ音楽史の権威、H・ワイリー・ヒッチコックは、アイヴズの歌曲全集を編纂中。今回収録されるのは、作曲者が自費出版した「一一四の歌曲」や「五○の歌曲」、ヘンリー・カウエルの「ニュー・ミュージック」シリーズの中で出版された歌曲、アイヴズの死後に出版された歌曲、そして未出版の二つの歌曲である。全集ではこれら全歌曲を作曲年代順に並べ、自筆譜や複数の出版譜を比較。批判的考察を加えて編集する。音楽学者編集によるアイヴズ歌曲集はこれが初めてである。

 その他注目されるのが、ジェームズ・シンクレアによるアイヴズ作品総目録である。イエール大学出版局から十月に発売されたこの目録には、合計七二八曲のアイヴズ作品について、自筆譜や出版史、初演記録などの基本的情報に加え、引用に使われた音楽のオリジナルに関する情報なども提供されている。場所・人名・曲名・引用と、四つのカテゴリーの索引も付いた、九六〇ページの労作である。(『ExMusica』プレ増刊号 [2001])