2026年9月3日木曜日

アメリカ音楽メモ (ボストン時代、1994年6月)

1994年6月15日

ハリー・パーチはかつて「音楽のドン・キホーテ」と呼ばれたが、今では「哲学者」など、数多くの称賛が与えられるようになった。"the Don Quixote of music" → A "philosopher," a "visionary," an "inspired, stubborn radical."

今日は [ロバート・] ラッセル・ベネットの生誕100年の日に当たる。彼の作品がWGBH [ボストンのラジオ局] で演奏された。彼のオーケストレーションは優れている。楽想に華々しさにはやや欠けるところはある。ヴァイオリン協奏曲には、彼の作品が凝縮されているかのようで、割と古典的な構造でできているように聴こえた。1894年生まれなら、そんなもんか?

アメリカには多くの作曲がいる。もしかしたらヨーロッパよりも少ないのかもしれない。しかし、ここでは多くの作曲家の作品に出会うことができる。作曲家の多くは大学で教鞭を執っているようだが、大学教授 (作曲科) がすべて偉大な作曲家であるかどうかはわからない。[フィリップ・] グラスや [スティーヴ・] ライヒは大学とは関係ないが、大ヒットを飛ばしている作曲たちではある (偉大かどうかはわからないけど…)。大学単位で、学生のオケのレベルもそれなりに高いし、大学と地域の演奏団体とのつながりが密で、常に現役である。日本の小さな都市も人材を育てることによって、大学単位で、いろんなことができるのではないだろうか。東京の真似をして、大きなホールやオーケストラをつことだけが、地方音楽のあるべき姿でもないだろう。地域に伝統のある芸能があるなら、それらを見逃す手はない。マス・コミュニケーションは東京だけでなく、地域地域の音楽芸能活動に敏感であるべきだろう。ラジオ局は地元の演奏会・演奏家にもっと焦点を向けるべきだ。毎日東京でどんなコンサートをやっているかはよく知っているが、地元のことは分からないということが多い。

ボストンでは『ニューヨーク・タイムズ』を読まない限り、ニューヨークのコンサート情報は手に入らない。ハーバード・スクエアにでもいかなければ、その他 [=ボストン以外] の都市の新聞は買えない。「ボストンが大都市じゃないからさ」とニューヨーカーは冷たくあしらうのかもしれない。しかしボストンはかつて [指揮者セルゲイ・] クーセヴィツキーがアメリカ作曲界、現代音楽シーンをリードしていた土地でもあるのだ。

日本は東京を離れると多くのものを失ったように感じる。外国招へいのアーティストはほとんど東京でコンサートを開く。地方はいわゆる「巡業」なのである。アーティストにとっては地方公演では手を抜くこともあるという。問題はアーティストたちだけではない。聴き手の側もアーティストたちの音楽に常に厳しい目を向けるべきなのである。

日本の大学の教育の中、特に non-major [専攻外] の人たちの音楽の授業は、実は大きな意味があるように思う。Major [専攻] よりnon-majorの人の方が聴衆の大半を占めているのだ。不思議なことかもしれないが、major の人たちは自分の専攻楽器以外の音楽にはあまり関心を持たない。声楽科の学生は、いつも声楽の曲ばかり、トランペットの学生はオーケストラのトランペット・パートばかりを聴いている。彼らはしばしば曲を聴かず、各々のパッセージがいかに演奏されるべきかに聴き入っているのだ。

1994年6月17日

アラン・ホヴァネスは多作家で、現在、交響曲の数だけでも62を超えると言われている。その奇妙な響きに魅力がある。インド、日本などアジア各地に滞在経験があり、旋法的な響きのする音楽である。

1994年6月21日

マリー・シェーファー「人類最初の音楽は、即興によるものだったと考えられる。」

楽譜は、グレゴリオ聖歌のように、はじめは「記録する」ためのものだったに違いない。楽譜がある程度正確に演奏を記録できるようになってから作曲家が出現したのでは?


宗教関係者によって書かれた?〜ムジカ・エンキリアデス

同じ曲を何度でも演奏できる→作曲家としての地位がが生まれた?

思弁的な音楽?

mind と intelligence 情--知的に捉えた情が本当の情なのか、分析可能なのか?

同じfeeling を再び取り出すことはできるのか? feeling...様々なcontextで多種多様に変わる




2026年8月25日火曜日

作曲家に聴く:ポール・クレストン(《うわさ》ほか)

Listening to the Composers: Paul Creston. Making Music Your Own, Book 6, Record 1. Silver Burdett Records. <発売=1971年>

アメリカの出版社Silver Burdettから出されていた音楽の教科書用の音源からの1枚からご紹介します。10枚のレコードがまとめて、頑丈なプラスチックのキャリーバッグに収納されています。サイズ感を出すために、別の教育用のドーナツ盤レコードを置いてみました(以前にこちらで紹介させていただいたものになります)。

内容ですが、6年生のトムとナンシーが、ある日の午後にポール・クレストンの仕事部屋を訪ね、インタビューをするという趣向です。「台本を読んでます感」ありありとはいえ、おそらく事前にやり取りをして、それを台本化してしゃべっているのではないかと推測しています。


トムがまず、クレストンの「music workshop」(クレストン自身は「studio」と呼んでいるそうです)の壁に飾ってあるサイン入り写真について尋ねます。これらも作曲家ですか、と。クレストンは、自分の作品を演奏してくれた歌手、ヴァイオリン奏者、指揮者など音楽家だそうです。インスピレーションを得るために飾ってあるのだとか。また棚には音楽書を置いているということです。ナンシーは「それじゃ、楽譜はどこに置いてあるんですか? 私のようにピアノの椅子の中ですか?」と尋ねます(日本だとあまり見かけないかもしれませんが、アメリカだとピアノの座る箇所が上に開いて、そこに楽譜などを入れるスペースができる椅子があるんです)。クレストンは楽譜は多すぎて 、それはできないと返答。大きなクローゼットに自作のスコアを保存する棚があるということ。ピアノには頻繁に参照する楽譜が積み上げてあるそうですが、奥さんはうれしくないそうです。


それで楽譜はすべてクレストンのものか、と子どもたちがたずねると、ほとんどは、ということで、見てみる?ということになります。ナンシーは《Two Babies》という曲を見つけます。「これは子守歌ですか?」と尋ねると「それはとても良い質問ですね。じゃあ私が弾いてみましょう。音楽そのものに答えてもらいましょう」ということで、クレストンのピアノが演奏されます。子どもたちは曲が気に入ったそうで、トムはこれは最初に書いた曲ですか? という質問をします。「違います」と答えて、最初に作った曲は8歳の時に書いたと付け加えます。

「その時は有名な作曲家になるなんて思ってなかったでしょ?」とトムが言うと、クレストンは「そうですね。作曲を天職にしようなんて大人になるまで全く考えてませんでした。それまでは作曲は趣味でした」とのこと。

ナンシーは、ピアノ以外に演奏できる楽器について尋ねると、クレストンはオルガンとヴァイオリンが演奏できると答えています。その他兄弟の話がちょっと挟まり、オーケストラ曲の《うわさ》の解説になります。伝言ゲームのように当初の旋律(あるいは音楽の「うわさ」)がどう変わっていくかについて説明し、最初に聴かれる旋律をピアノで弾いてみせます。そして途中で演奏される変形を弾いてみて、最初の旋律との違いを子どもたちに感じ取ってもらっています。その後、オーケストラ(モノラル録音)による抜粋が再生されます。

その録音で聴かれたセクションの一部を取り出し、ピアノで演奏し、同時に(対位法的に)鳴り響いていた2つの要素の違いを子どもたちに判定されていました。この辺りから、レコードを実際にクラスで聴かせたら脱落する子どもたちが出てきそうな予感…。模倣の話もしています…。オーグメンテーションの話もしています。分かるかなあ。

ということで、一通りクレストンが《うわさ》で使われている作曲技法を説明したところで、最後に全曲が演奏されます(9分40秒辺りから)。前段落に書いた説明については全部分からなくても、すでに主要主題を何度もクレストンのピアノで聴いているので、案外面白く聴けるかも、とは思います。

全部でおよそ16分弱の内容です (2026-08-29誤字訂正)。

ロン・ネルソン&ジョン・コリリアーノ作品集 (吹奏楽作品集)

The Compositions of Ron Nelson and John Corigliano. The Kent State University Wind Ensemble; John Boyd, conductor. Golden Crest ATH-5083 (The Authenticated Composers Series).

Golden Crestから "The Authenticated Composers Series" という一連のシリーズ物レコードがリリースされていました。作曲者の意図とはかけ離れた勝手な解釈による演奏が蔓延していたことを問題視して、作曲者が指揮あるいは監修した録音をレコードにして発売するというのが趣旨だったようです。何枚出ていたのかまでは知らないのですが、これはかなり後の方に出たのではないかと思っています。たいていは一人の作曲家に1枚なのですが、この1枚はなぜか2人の作曲家の作品で1枚という扱いです。二人とも、まだメジャーな存在じゃなかったのかな?

内容ですが、第1面にRon NelsonのMedieval Suiteというのが入っていて、Homage to Leonin、Homage to Perotin、Homage to Machautという3楽章からなっています。吹奏楽曲だけど、割と声が前面に出てくる感じ。吹奏楽に詳しくない私は「こんな曲も作ってたのね〜」という感じですが、ネルソンの代表作の一つに考える人も少なくないようです。第2面は Rocky Point Holiday、打楽器が優しめに入っていて軽快。

コリリアーノは Gazebo Dances。4手ピアノのための作品を作曲者自身が編曲したもの。オケ版もありますね。

なおこのレコード、コリリアーノの音楽がメジャーになる前の録音なのでしょうか? ジャケットにもネルソンの写真はあってもコリリアーノの写真がありません。

2026年8月19日水曜日

ベル・テレフォン・アワー(ドナルド・ヴォーヒー指揮ベル・テレフォン・アワー管弦楽団)収録風景+テレビ中継方式紹介映画

The Bell Telephone Hour (1946) Music, Television & The Bell System | 16mm Film Scan


たまたま面白そうな動画をみつけたので、ご紹介します。

YouTubeのアップロード主のコメントによると、こちらの映像は、もともとは1946年2月に放送されたラジオ番組『ベル・テレフォン・アワー』なんだそうで、それを映画とした映像がこれなんだそうです。

オープニングでは、テーマソングが演奏され、アナウンサーがしゃべりだすタイミングを指揮者が与えているのが興味深いです。つづいて演奏されるのはアントニオ・カルロス・ゴメス (Antônio Carlos Gomes, 1836-1896) 作曲のオペラ・バッロ《イル・グアラニー Il Guarany》序曲だそうです。曲が演奏される時に、それを背景音楽として、録音の背後で働くベルのスタッフについての説明が入っています。

間に長めのベル社の宣伝がはいります。テレビ・ネットワークについての説明が、電話やラジオのネットワークの話に遡ってなされていますね。

そして最後は、ヨゼフ・ホフマンがベートーヴェンの《皇帝》協奏曲の第3楽章を演奏しています。鍵盤の上から撮影しているのも面白いです。番組の冒頭アナウンスではラフマニノフの作品にも言及されていますが、それは収録されていないようです。

エンディング曲では、ブース内からアナウンサーにキューが出ていますね。

2026年8月17日月曜日

ミシガン州立大学シンフォニック・バンド (ケネス・G・ブルームクイスト指揮)

YouTube→MICHIGAN STATE UNIVERSITY SYMPHONIC BAND - Volume 1 LP (1975)

アルフレッド・リードの《「ハムレット」のための音楽》を聴いていますが、第1曲は序奏の恐ろしさと主部に入ってからの「熱さ」が良いですね。もちろんコンクール向けカットはなしです。高校2年の時に演奏したのが懐かしいです。もちろんこんなに上手では全くないですが…。

2026年8月2日日曜日

オーマンディ 1957年録音の《グランドキャニオン》

Eugene Ormandy and the Philadelphia Orchestra - The Columbia Stereo Collection 1958 -1963 (→アマゾン

ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団『コロンビア・ステレオ・コレクション1964-1983』で、1957年録音の《グランド・キャニオン》を聴きました。

オーマンディは、このグローフェ作品を1967年に再録音していて、そちらは廉価盤LPレコードで持っていました。レコード・ガイドなんかでバーンスタイン盤とともに推薦されていたので買ったのだと思います。ただ、個人的好みとしては、曲のスケール感は大きいものの、特に<豪雨>楽章が重々しく、ピアノの上下するアルペジオがねっとりした感じで演奏されているのが好みではなかったりもします。その後、デジタルの新録音として発売されたドラティの重々しさも好みにはなれず(なぜかDaccaの輸入盤LPを持ってました。石丸電気で買ったのかな?)。

実は私が《グランド・キャニオン》で最初に好きになった演奏がフェリックス・スラトキン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団の演奏でした。確か諸井誠さんが司会をされていたころのNHK-FM放送のクラシックのリクエスト番組であったように記憶しています。そのスラトキン盤は長いこと探していたのですが、今はなき富山市総曲輪のフクロヤでは、通常の分類ではなく廉価盤だけまとめて置いてある別コーナーにあることが分かり、みつけて買ったときには感動したものです。

さてオーマンディ1957年録音ですが、第1曲の<日の出>からして、きらびやかなオーケストラの響きが、エネルギッシュな息づいかいの中にいきいきと表現されています。そしてクライマックスの畳み掛けにいたるまで、怒涛の流れは断然10年後の録音よりも好みです。ハープは実演よりも大きめに録音されているように思いますが、それが泡のように広がる感じは、録音のなせる技かと思います。

第4曲の《日没》の独特の歌わせ方も魅力的です。1967年録音は楽譜に忠実な感じがしますが、57年録音は、もっと自由で、ムード音楽的な性格が強いように思われました。

全体にクラシック然とした解釈を好みの方は、上記ドラティ盤やオーマンディ67年録音が良いのだと思います。また一般的にもそちらの方が定評が高いのかもしれません。ただ私は旧録が良いのかな、と思いました。

2026年7月25日土曜日

アメリカ音楽メモ (2026-05-03〜2026-07-25)

ウィリアム・グラント・スティル:《古きカリフォルニア》(1941) ピエール・モントゥー指揮ニューヨーク・フィルハーモニック 自主制作盤 An American Celebration Volume 1, CD 4.

1944年の録音。ニューヨークフィルとモントゥが録音した。3つの録音のうちの1つだそうだ。そしてモントゥと縁の誓い、フランス物のレパートリーではないものも彼が演奏できると言うことを証明したかったようだと、ラジオでは紹介されていた。

曲は神秘的な、霧のような弦楽器の背後に木管楽器始まるところから始まり、ハリウッドインディアン・タムタム鳴聞こえてきたり、ホルンの平行進行が聞こえてきたりで、西部劇風の部分もある。その後、ムーディーな接続部の後、ラテン風の舞曲(マリアッチ? マラカスが入っている)で、その後は再びムーディーな展開だった。(2026年5月3日)

アンドリュー・ノーマン:《プレイ》(2013) マサイアス・ピンチャー指揮シンシナティ交響楽団 Music Now 2017から

ものすごく混乱した感情を覚える。騒がしい顔素敵な作品かなと思い、確かに演奏するのは大変そうだなと第一印象を持った。しかし次第に穏やかな感じもしみ出てきて、エンディングはそれほど悪くないのかなと思った (2026年5月5日)

A. リード&東京佼成ウインド・オーケストラ 第2組曲 レコーディング リハーサル風景 佼成出版社 KOR-8012 (LP) →YouTube

リード初来日の時の録音は2枚組LPだったのがCD1枚になり、「A. リードは語る」と「レコーディング リハーサル風景」という第4面部分はカットされていた。一応中古レコードでは持ってはいる。技術的な問題というのは当然プロの演奏団体なのでないのだけれども、楽譜の特定の箇所についてリードが指示しているところが非常に興味深い。「なるほどそういう風に演奏するのね」的な。レコードには当然日本語訳が付属しているのだけれども、YouTubeでも自動翻訳が出せるので大丈夫かもしれない。(2026年7月25日)

2026年6月28日日曜日

アルバン・ベルク協会例会 高橋アキ モートン・フェルドマンを語る (AIまとめ)

高橋アキ フェルドマンを語る
2026年6月21日(日)18時30分開始 アコスタディオ

全体概要

ベルク協会の例会で行われたトーク+演奏会の記録。ピアニスト高橋アキが、作曲家モートン・フェルドマンについて、音楽学者(聞き手)白石美雪との対談を通じて、自身の体験・作品理解・演奏上の要点を語り、後半でフェルドマン作品(《ピアノ Piano》)を演奏。会場からの質疑も含む。

前半:企画趣旨と導入

  • フェルドマン生誕100年の文脈で、フェルドマン作品を実演してきた高橋アキに話を聞く企画。
  • 後半は高橋による演奏(フェルドマン作品)。

高橋アキのフェルドマン体験・作品観

  • 高橋がフェルドマンの長大作品に強い衝撃を受け、本人に「同じくらいの長さの作品を書いてほしい」と依頼した経験が語られる(弦楽四重奏の長大作を聴いた体験が転機)。
  • フェルドマンのピアノ作品の変化(1977年頃以降の長さ・書法の特徴、淡々とした反復、微細な変化)について話題に。
  • リズムや反復があるが、数学的操作というより「同じ繰り返しではない」ことを示すための変化で、演奏側は神経質になりすぎず大きく捉える姿勢が大切、というニュアンス。
  • フェルドマンの本質として「音色への特別な耳」「楽器そのもの(“楽器のイメージ”)を大事にする姿勢」「唯一無二で他に似たものがない」ことが強調される。
  • “形式”より“スケール(規模・広がり)”で考える、というフェルドマンの言葉の意味をめぐって議論。終結のさせ方(どこで終わるか)も作品ごとに綿密に考えられている、という見立て。

フェルドマンの 1977年以降(とくに《Piano(1977)》以後)の作品

  • 作品が長大化する(スケールが大きくなる)
    1977年以降は「ただ長い」作品が多く、90分、さらにそれ以上の長さの作品にも言及があります。レコードの収録時間(何分に収める等)に合わせて作るのは変だ、という趣旨の発言も紹介され、長さが作曲上の重要な前提になっていると捉えられています。
  • 静けさ/淡々とした進行が前面に出る
    「静かなところが多い」「淡々と(音を)置いていく」方向が強くなる、という印象が語られます。聴いていて、ベートーヴェンのように「終わりへ向かって進んでいく」感覚が薄れ、時間感覚が曖昧になる、という話も出ます。
  • 反復は多いが、“同じ反復”を避けるための微細な変化が入る
    たとえば決まった拍節パターンが繰り返されつつ、最後の方で不規則になったり、わずかに変形されたりする。
    ただしそれは「数学的に構築している」というより、「繰り返しじゃないよ」と示すための変化で、演奏側は細部を神経質に追いすぎず大きく捉えるべき、というニュアンスで語られています。
  • “形式”より“スケール(規模)”で考える
    フェルドマン自身の言葉として「形式ではなくスケール」といった趣旨が話題になり、曲を古典的な形式感(全体構造の起承転結)で捉えるより、ある種の広がりとして捉える方向が示唆されています。
  • 終わり方は「唐突」ではなく、作品ごとに工夫される
    どこで終えるかは難題だが、終結に向けて、それまでの“織り目”がほどけるように感じられる(という聴き手側の印象)が語られます。少なくとも「きちんと終わりを考えている」という理解です。
  • 補足:1977年作品「Piano」は“音が詰まった”例外的密度として言及
    「それ以前は短く静かな曲が多かったが、突然1977年の《Piano》が出て、珍しく音がいっぱい詰まっている」という言い方があり、1977年作が一つの転換点・始まりとして位置づけられています。

来日は「2度」

  • フェルドマンは日本に2度来ている、と明言されています。

1回目:1979年(武満徹の「ミュージック・トゥデイ」)

  • 1979年に来日。
  • 武満徹が関わっていた音楽祭(文中では「ミュージック・トゥデイ/今日の音楽」と呼ばれている)に招かれて来た、という説明です。
  • 高橋さん自身もそのときフェルドマンに会っているが、当時はそこまで深く関わる段階ではなかった、というニュアンスで語られます。
  • その来日時に、高橋さんはフェルドマンの室内楽(クラリネット曲など)を聴いたが、翌日に別件(ドビュッシーのレコーディング等)があり、あまり会話はしなかった、という趣旨の回想があります(文は崩れていますが、流れとしてはそういう内容です)。

2回目:1985年(市原/一柳関係の企画、草月=「草月ミュージアム」言及)

次の来日として、「85年に」という言い方で語られています。

  • 誰の企画かについては、文中で「一柳さんがやってらした…」という言及があり、会場(あるいは企画の場)として「草月(ミュージアム)」が出てきます(話者の記憶が揺れていて、断片的です)。
  • この2回目の来日は、さらに「直前にロサンゼルスで…」「同じ飛行機で…」「スーザン・ソンタグが来ていて、アメリカンセンターでシンポジウムのようなものがあった」といった周辺状況がセットで回想されています。

補足:年号に“揺れ”がある箇所

  • 2回目の来日を「85年」と言いつつ、その直後に「87年」のように聞こえる断片も混ざります。少なくともこのページだけを根拠にすると、確実に言えるのは
    • 来日は2度
    • 1回目は1979年(ミュージック・トゥデイ)
    • 2回目は80年代半ば(草月/一柳さん関連の場の言及)

…という範囲になります。

ケージとの関係(人物像・美学の違い)

フェルドマンはジョン・ケージを強く意識していた、という証言。

高橋による印象的な比喩:「ケージは“サファリパーク”(自由に見えるが枠の中)」というフェルドマンの言葉が紹介され、両者の“自由”観の違いが示唆される。

一方でフェルドマン死後のケージ作品に、静かでフェルドマン的な傾向が見えるのではないか、という観察も出る。

作曲・生活・趣味に関するエピソード

フェルドマンの作曲姿勢:極度の集中、弱視で紙に顔を近づけるように書く、書き直しが少ない、等。

絨毯コレクションの話:収集旅行、絨毯の制作過程と自分の作曲の類似(反復しつつ少しずつ変化)を語っていた、という逸話。

生活拠点(バッファロー)の話:静かな環境での孤独な生活、車の運転ができないためパートナーの助けが必要、など。

演奏(後半)と質疑応答の論点

  • 会場が小さく残響が少ない点は、フェルドマン作品にはやや厳しい(もっと残響がある会場が理想)という高橋氏のコメント。
  • ペダリング:基本は和音ごとに踏み替え、クリアさとの兼ね合い。
  • 「簡単に見える音型(誰でもできそうに見える)」が生む誤解と、実際には一音の余韻・響きを成立させる繊細さが核心、という話。
  • 長大曲の現実問題(トイレ、演奏者の身体負担、椅子が太ももに食い込む等)の具体的エピソード。
  • フェルドマンが社会的発言を前面に出すタイプではないが、ユダヤ人としての自意識は強かった、という証言。
  • 最後に「フェルドマンの魅力を一言で」への回答:誰にも似ていない唯一無二、響き(音色)を本質的に大事にする“本当の意味での音楽家”。
  • 以上が要点です。必要なら、(1)「ケージとの比較」だけ、(2)「作品論(時間・形式・スケール)」だけ、(3)「質疑応答だけ」など、用途に合わせた短縮版にもできます。

フェルドマンの「住んでいた場所/生活環境」

1) ニューヨーク時代(若い頃)

  • 最初は ブロンクスにいた(「最初はブルックリンじゃない、ブロンクスだって言ってましたね」という回想)。
  • その後ニューヨークで活動していた時期は、友人も多く、ある程度の交友があった様子が示唆されています(ただしこのページでは住所や家の具体像までは出ません)。

2) バッファロー時代(大学に関わるようになってから)

  • ニューヨーク州立大学バッファロー校(SUNY Buffalo)から頼まれて教える立場になり、生活の拠点がバッファロー周辺になる。

  • その住環境は、話者の印象では

    • かなり田舎/静かな場所
    • 店もほとんどないようなところ
    • 自然の中で暮らす感じ

    と言われています。

  • 大学に行くのも「週に1回くらい」という語りで、結果として

    • 暇すぎて困る
    • 静かすぎて作曲が進まない(進まなくて困る)
  • という、都市型の忙しさとは逆の環境だったことが語られます。

  • またフェルドマンは弱視で運転ができないので、移動や生活の面で、当時のパートナー(ガールフレンド)が運転手役になっていた、という生活実態も出てきます。

  • バッファローでは「誰にも会わないみたいな」「一人でいるような」暮らしぶりが強調されています(訪ねてくる友人は時々いた、という程度)。

要するに、この記録の中のフェルドマンは、後年はとくに「都市の中心」ではなく、静かな地方都市(バッファロー周辺)のさらに静かな場所で、孤独に近い形で作曲に没入する生活をしていた、というイメージで語られています。

フェルドマンを演奏する際の注意点

  • 細部(リズム変化など)を“神経質に”追いすぎない

    リズムが少しずつ変わる箇所もあるが、本人は数学的に操作しているというより「単なる繰り返しではない」ことを示したい意図だ、という理解が示され、演奏側は細部に過度にこだわるより、大きく捉えるほうがよい、という趣旨で話されています。

  • 1音1音の“余韻/響き”を成立させることが核心

    「誰でもできそうに見える」瞬間がある(ポンポンと音を置くように見える)が、実際には一音の余韻・残響をどう出すかが重要で、そこが作品の本質だろう、という話が出ます。

  • ペダリングは基本「和音ごとの踏み替え」+クリアさの管理

    質疑で、ペダルは「基本としては一つ一つの和音に踏み替える」感じ、と述べられています(=濁りすぎないようにしつつ響きを作る、という方向性)。

  • 会場の響き(残響)に強く影響されるので、音響条件を意識する

    この会場(小さめ・近距離)は「残響が足りないのでフェルドマンには厳しい/もっと残響があるほうが理想」と語られ、作品が残響の質に依存することが示唆されています。

  • 長大曲の場合は“身体・生活上の現実”も含めて備える

    トイレ問題や、演奏姿勢・椅子による痛み等の話が出ており、長い作品では音楽的解釈だけでなく持久力や環境設計が重要、という含意があります。

(高橋アキさんの回想)に基づく範囲で、「フェルドマンとジョン・ケージが似ている」と読み取れる点

  • 同じ時代・同じ文脈の“実験音楽”を推進した仲間(同士)として見られている

    司会(あるいは話者)が、2人は「同じように実験音楽を推進した仲間/同士」だが、途中から道が違っていった、という整理をしています。

  • 互いを強く意識し合う関係だった(影響関係がある)

    フェルドマンはケージを強く意識していた、という証言があり、さらにフェルドマン没後のケージ作品に「フェルドマン的(静かで沈潜した感じ)」な傾向が出たのでは、という観察も出ます。
    →「似ている」というより、相互参照・相互影響が起きうる近さがあった、という意味で共通項として語られています。

  • (少なくとも後期に)“静けさ/沈潜”の方向性が接近して見える
    高橋さんは、フェルドマン没後のケージ作品がフェルドマン的になったのでは、と述べており、ここからは両者の間に「静けさ」への志向が重なって見える局面があったことが示唆されます。

両者の「自由観/作曲観」の違い

自由観の違い:「サファリパーク」比喩

  • フェルドマンはケージについて、「ケージはサファリパークなんだ」(=自由に見えるが“枠の中”でやっている)と述べた、という回想が出てきます。
    • ここでのポイントは、ケージの実践が「無制限な自由」ではなく、何らかの枠組み(ルール/方法)の内部で成立している自由に見えた、というフェルドマン側の評価です。
  • それに対してフェルドマンは、(高橋さんの解釈として)もっと“無限の時間”の側に住んでいるような、別種の自由を志向していたのではないか、と語られます。

作曲観の違い:ケージ=哲学者/フェルドマン=沈潜して書く人

人物像と結びつけて、作曲観の差が次のように整理されます。

  • ケージ
    • 「哲学者的」「幅広く世界を見て」「発言もする」といった言い方で語られ、
    • 社会や思想を含む広い射程の活動の中で音楽を位置づけるタイプとして描写されます。
  • フェルドマン
    • 「沈潜して」「内側に向かって」書くタイプとして語られ、
    • 外側(社会的発言・多方面の活動)へ広がるというより、音そのもの/時間感覚の内部へ潜っていく作曲をしていた、という対比になっています。

補足:関係性は「違うが、相互に意識」

  • 違いが強調される一方で、フェルドマンはケージを強く意識していた、またフェルドマン没後のケージ作品が「フェルドマン的(静かで沈潜した感じ)」になったのでは、という観察もあり、緊張関係を含む相互参照として描かれています。

(演奏後のQ&A)で出た主な話題は、だいたい次の通りです

1) 会場・音響(残響)について

小さめの会場で距離が近いぶん音がよく聴こえる一方、フェルドマンには残響が不足気味で「欲を言えばもう少し残響がある方がよい」という趣旨の応答。

「会場やピアノによって響きが変わるが、その違いをどう感じるか」という質問に対しても、残響の影響が大きいという方向で話が進みます。

2) ペダリング(ペダルの使い方)

「音が変わっていく時、ペダルはいつ踏み替えるのか?」という質問。

応答は、基本としては和音ごと(音のまとまりごと)に踏み替える、という説明(クリアさを保つ方向)。

3) 作曲家の“音”へのこだわり(音色・音響への嗜好)

「フェルドマンは音響にこだわりがあったのか。嫌いな音/好きな音など言っていたか」という質問。

高橋さんは、はっきりした“好き嫌いリスト”のような形では語れないとしつつ、周辺エピソードとして、打楽器的な音が鳴っている場面でも社会的に挨拶に行く、というような人柄(社会性)も交えて返答しています。

4) 「簡単そうに聴こえる」問題(誰でも弾けそうに見えるが違う)

司会側からの投げかけに近い形で、「聴いていると“誰でもできそう”と思う瞬間があるが、何が違うのか」という話題。

応答は、結局は一音の余韻/残響をどう聴かせるかが重要で、そこが成立しないと同じにはならない、という方向。

5) ピアノ(楽器)へのこだわり

「ピアノそのものにこだわりはあったか(メーカー等)」という質問。

応答として、本人のピアノはスタインウェイだった、という言及。

さらに「弾き手がいなくなるとピアノの鳴りが変わる」という経験談(フェルドマン亡き後に弾いたら“別物”のように感じた、という趣旨)が語られます。

6) 長大曲の現実:トイレ/休憩/身体的負担

「6時間の作品などでトイレに行きたくなったら?」という質問。

弦楽四重奏の超長時間作品では、途中で出入り自由にしたり、演奏側も現実的に(省略や交代など)工夫がある、という話題に展開。

具体例として、長時間座り続けることで椅子が太ももに食い込んで痛い、など身体的負担の話も出ます。

7) 社会的発言(ケージとの対比)

ケージは社会への発言が多いが、フェルドマンはどうだったか、という質問。

応答は、フェルドマンは自分から社会的発言を前面に出すタイプではないが、(例として)戦争の時代状況などを人間として意識していた話、またユダヤ人としての自意識が強かった、という内容。

8) 当時の受容層/コミュニティ

「80年頃アメリカで、フェルドマンの音楽を支持していたのはどういう層か?」という質問。

応答は、バッファローは小さな社会で、いわゆる大都市的な“マニア集団”という感じではなく、大学周辺の作曲家・演奏家コミュニティなど、比較的限定された範囲の話として語られます(断定的な社会階層分析は避ける)。

9) 異国趣味・絨毯など

絨毯の話から、「異国趣味的なものがあったか?」という質問。

応答は、旅行好き・収集などはあったが、特別に“異国主義”として強調できるほどではない、というニュアンス。

10) まとめの問い:「フェルドマンの魅力を一言で」

最後に「魅力を一言で」と問われ、

唯一無二で誰とも似ていない」「響きを大事にする」「知識や形式操作ではなく“自分の中から出てくるもの”を注ぎ込む」といった趣旨で締めくくられています。

2023年9月5日火曜日

ドン・ギリスのラジオ番組

1964年に、ドン・ギリスは週一で自作を紹介するラジオ番組をホストしていたのですね。すごいや (2026-07-25 リンク更新)。

https://archive.mith.umd.edu/airwaves/programs/the-music-of-don-gillis/

トッホの珍しい録音集

In Memoriam Ernst Toch.  Educational Media & The Ernst Toch Fund of the UCLA Foundation EMA-101 (LP).
Pinocchio Overture.  Berlin Radio Orchestra; Ljubomir Romanski, conductor.
Big Ben Variations.  RAI Orchestra; Rudolf Kempe, conductor.
First Symphony, Op. 72 (1949/50).  Vienna Symphony Orchestra; Herbert Haefner, conductor.

エルンスト・トッホ (1887-1964) はウィーン生まれの作曲家だが、ユダヤ系であり、ナチスが政権を取るとともにアメリカに亡命。南カリフォルニア大学にて教鞭を取り、映画の音楽も作曲している。

このレコードは、いまはもうなくなってしまったボストンの中古レコード店 Looney Tunesで購入したもの。ヨーロッパで録音されたモノラルの、しかし名前の知られた指揮者・オーケストラによって録音されたもの(おそらくライブ録音ではないかと思う)。

《ビッグベン変奏曲》は、学校のチャイムのメロディにもなっている有名な旋律をテーマにした変奏曲。レオン・ボッツスタイン指揮NDR交響楽団のやジョン・ヴィクトロン・ユー指揮フィルハーモニア管弦楽団が録音したCDがあるようだ。ルドルフ・ケンペ指揮っていうのがすごいね。

2017年8月24日木曜日

The Village Voice が紙媒体での発行を休止

The New York Timesの記事で見ました。NY周辺の現代アートを追うのに便利なタブロイド紙(という扱いで良いのかな?)のThe Village Voice が紙媒体での発行をやめるという記事がありました。

フロリダ在住時には、時々買っては記事を読んでいました。さすがにこういうのを日本でほいほい読むという感じではなかったのですが、今後はオンライン上で展開してくのでしょうか?

After 62 Years and Many Battles, Village Voice Will End Print Publication

ブルックリン音楽アカデミーのアーカイヴ

ブルックリン音楽アカデミー (Brooklyn Academy of Music) は現代アート・シーンを考えるのに見逃せないアート・センターではないかと思いますが、その貴重な資料がインターネット上で公開されるということが Open Culture で記事になっていました。

Leon Levy Digital Archive


2017年8月22日火曜日

Menotti: The Boy Grew Too Fast

Menotti, The Boy Grew Too Fast.  TER Limited CDTER 1125.

メノッティ氏同席のもとに録音とあるCD。42分あまりの短い子どものためのオペラ。体が大きいために子どもたちから嫌がられた転校生。先生の勧めで発明家に頼んで体を小さくしてもらうことに。ただしみんなと歩調を合わせないと元に戻り、もう一度小さくはできないという条件がついている(他の生徒が「オペラが嫌い」といった、自分も嫌いなフリをせよというような感じ)。同伴した先生は、発明家が少年にこの条件を告げたときは外にいたため、この経緯は知らないことに)。

学校に小さくなって戻ってきた転校生はみんなから歓迎されて良かったと思っていたら、突然テロリストがやってきた。先生は「子どもたちを助けて下さい」と懇願。「だれか子どものうち一人を残したら他の生徒は解放してやる」とテロリスト。先生は「誰か志願してくれないか」と言うが、子どもたちはもちろん嫌だという。転校生は発明家の忠告を無視し(みんなと歩調を合わせず)、自分が人質になると宣言。

もちろん発明家の忠告どおり、転校生は元のデカい自分に戻ってしまうのだが、大きくなった彼は、なんとテロリストをやっつけてしまった。

ということで、クラスから今度は英雄扱いされ、すべては一件落着。先生は自分は自分であることを大切にしなさいという教訓を述べてメデタシメデタシ。

他愛もない、ソープオペラの一エピソードみたいな内容だけど、発明家は(退屈な)オペラをずっと聞いてて突然会場から登場したり、少年が小さくなるシーンでは電子音が使われたり、いろいろ工夫ありで、なかなか楽しい内容だった。こんなオペラも作ってるのね。へええ。

そういえばメノッティは《助けて!助けて!宇宙人がやってきた!》でも電子音を使ってたね。